アスピリン打って

ジャニ、舞台、タバコのこととか

電車に飛び込みかけて仕事を辞めた話

貯金ゼロ、パスモにチャージしてる800円、煙草2箱で就職活動してます、こばやしです。

さて、タイトルにあるように仕事を辞めました。
通販サイトでの業務でしたが、別に激務ではなかったし、同期とも仲良くして特に不満のある仕事ではなかったのですが、今日付で、辞めてきました。
それはなぜか、という話をしたいと思います。

異変を感じたのは5月5日。世間はGW、わたしは仕事。
目眩が酷くて真っ直ぐ歩けなくなりました。低血糖症持ちなので、低血糖かな、と思い飴を舐めながら仕事をしてました。でも治らないんだよね、その目眩が。とりあえず多めに糖分を摂ったりして。
そして世間のGWが終わった5月9日、コール部にぶち込まれたわたしはお客様からの電話を取りました。

「お電話ありがとうございます、テクニカルサポート担当のこばやしでございます。」

左耳にヘッドセットをしてたのですが、反響してくるはずの自分の声が聞こえない。なんなら、お客様の声も聞こえない。
慌ててヘッドセットを右耳につけ直して対応をしました。
そして上司に相談し、早退をさせてもらうことに。
いま思うと、5日のときよりずっと目眩は酷くなってて、壁に手をついてなきゃ歩くことができなかった。
まぁその時点で病名は薄々分かってたんだけど。
耳鼻科に行って検査をした結果、ついた病名は
突発性難聴
でした。
ストレスによるもの、なんてよく言うよね。
目眩も、真っ直ぐ歩けないのも突発性難聴のせいでした。
ストレスなく働いてたつもりだったんだけどな。なんかショック。

そしてわたしは突発性難聴と共に仕事をすることに。
完治に2週間半。その間はずっと薬を決められた量飲み、飲み忘れがないようメモ書きを残したり。色々しました。
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↑こんな感じ。

突発性難聴が治りかけた頃、わたしの睡眠障害が悪化。
元々眠前薬として毎晩11錠薬を飲んでいましたが、心療内科で3錠追加され、それでも安定した眠りを確保することができませんでした。

それと同時期、食欲がなくなり、食べれば吐きを繰り返すようになった。(おかげで痩せた)
ただの夏バテ的なアレだと思ってたんだけど、なんだか感じたことのない不快感を食道や喉に感じるようになった。
汚い話をするけど、寝てたら急にゲロがせり上がって来て、それに叩き起されトイレダッシュする夜が続いた。おかげでまぁ寝れねぇ。寝不足でおはよう☀なんて感じだ。
病院に行ったら胃薬を処方された。先生には「これでよくならなかったら、消化器内科に行ってね。」と言われた。

それが5月末の話。それくらいから精神的におかしくなりはじめた。

電車のホームに立ってるとフラフラしてしまう、電車が目の前を通過する瞬間に意識が飛ぶ。
要は、無意識に走ってる電車に飛び込もうとしてた。
1度だけサラリーマンに助けられた。ふわっと意識が飛んで前に倒れようとしたのを、後ろに立ってたサラリーマンに腕を掴まれ、そこで意識がハッキリとした。
サラリーマンはわたしに怒鳴った。よく覚えてない。でも、わたしはそのサラリーマンに助けられたのだ。
その日はそのまま帰ることにした。会社に電話しようとしたら、胃酸がせり上がってきてそのまま吐いた。
その時フと、胃薬を処方した先生の言葉を思い出した。あー消化器内科いこー

消化器内科の先生に「2週間前からこの症状が出てる」と言ったら「よく耐えたね」と言ってくれた。
わたしがあの会社に勤めて、はじめて褒められたことだった。
逆流性食道炎
と診断され、その週末に胃カメラを飲んだ。

友達には「ストレスのWコンボ」だったり「満身創痍すぎる」だったり色々言われた。
いま思うと、すごい、その言葉が、重荷になってた。

逆流性食道炎と診断されたわたしは会社に「仕事をしっかりしたいから、療養としてしっかりと病気を治すために仕事を休ませてくれ」とお願いをした。
でも会社はそれを飲んでくれなかった。研修に入るから楽になるから、とか、薬しっかり飲んで治せば大丈夫でしょ、とか。

いや、そうじゃねえよ。
研修入っても、吐くためにトイレにこもってたら意味はない。薬を飲んでも、しっかり治すためにはそれなりの時間とそれなりの空間が必要だ。
わたしはその旨も全部伝えた。それでも休みはくれなかった。
咄嗟に出た言葉が

「じゃあ仕事辞めさせてください」

だった。ビックリした。もちろん上司は渋った。

「だから、仕事辞めさせてください」

休ませてくれないなら、辞めさせてください。
わたしは、言ってしまえば自殺未遂までしてる。もちろん上司にそのことも伝えた。
でもそのまま上司はどこかに行ってしまった。

その後何度も何度も、電車に飛び込もうとした。今度はしっかり意識があった。
飛び込めば楽になれる、飛び込めば仕事に行かなくて済む、飛び込めば死ねる。頭の中はその言葉でいっぱいだった。
家族にも言えず、1人抱えたその言葉の重みに何度も押し潰され、でもその考えはわたしの頭の中から消えなくて。
手首を切ろうか、それともベランダから飛び降りてみようか、でも、せめて綺麗な姿で死にたい、電車に飛び込んでバラバラな姿になるのは嫌だな、なんて思いながら毎日元気に自殺未遂。

そして遂に昨日、上司に呼び出され告げられた言葉は簡単に言ってしまえば「クビ」だった。
ありがたかった。こんなにも幸せになったのはいつぶりだろうと思うくらい。
やっとわたしの言ってることの重みが、会社に伝わった。

お世話になりました。Amazonさん。

母の日

新生活なんとかやってます、こばやしです。

先に言っとくけど、わたしは特別複雑な家庭環境ってわけではないし、両親は円満離婚(笑)だと思ってる。

ただ、わたしには母が二人いる。

育ての親と生みの親と言い方は分けてはいるが、わたしはその二人に24年間育てられた。

特に深く考えたことはない。単純にわたしには母が二人いるわけだ。
母と慕ってる人、ではない、母、が二人いる。

そんな二人の母は、こんな面倒くさいわたしをいつだって受け止めてくれて、全力の愛を注いでくれて、そこから咲いた花はこんなに立派に咲き誇ってるわけだ。

さらにわたしには誕生日が1日違いの双子の兄弟もいる。向こうはそうは思ってないみたいだけど。
これまた複雑な家庭環境というわけではないが、彼のことはもう家族だと思ってるし、妹、弟だっている。
これも、二人の母が与えてくれた世界一の家族なわけであって。

24年間も一緒にいるから、もうわかるんだ、大抵の事は、顔を見ればわかる。
あ、喜んでる、とか。面倒くさそうにしてる、とか。疲れてる、とか。

ずっと一緒にいるからこそ気づかないこともたまにある。
たまに、だけどね。

もう1度言うが、わたしには母が二人いる。
特別複雑な家庭環境ではないし、母と慕ってるのではなく、わたしには実の母が二人いる。

そんな二人は巻き爪が痛かったり、お店を経営しててんやわんやだったり。

だから、母の日に伝える愛も2倍になって、伝えたいことも2倍なのだ。

ありがとう、ここまで育ててくれて。
愛してるから、これからもよろしく。長生きして、ばぁばになって、みんなでもっともっと幸せになろうね。
鮭ならイクラ、ニシンなら数の子、カエルならカエルでも、もうなんでもいいや。またあなた達の子として、産まれたい。
心から、ありがとう。

新しい仕事に新生活、あとは不思議な出会い

転職しました、こばやしです。

新しいお仕事は、通販サイトに関することなのですが、あまりにも新しいことすぎてずっと驚いてます。
なんでわたし面接通ったんだろう…ってくらい、わたしには荷の重すぎる仕事だな、と思いました。

去年の9月頃のブログ。そこで「わたしは環境の変化に弱い」と書いたのですが、いままさにそのド真ん中にいます。
新しい環境って、どうしても憂鬱で、慣れるまでが大変で、慣れたら慣れたで飽きてしまう。そんなクソみたいなわたしですが、どうにか頑張っていこうかと思います。どうにか頑張ってしがみついて。
なんで前の仕事辞めたんだろう、なんて思わないように。

不思議な出会いを求めて、わたしは明日も働きます。
頑張ります。

わたしの青春ってなぁんだ!?

どうもこばやしです。
あけましておめでとうございます。

今日は懐かしいDVDを観ながら青春の話をしたいと思います。

青春ってなんだ?と思うことがたまにあったりする。
過去を振り返って青かったな、と思う季節のことかな?とか、楽しんでる今が青春なのかな?とか。
だったらいつだって青春なんじゃないかな、って思ったりもする。
青春の定義はなかなか難しいもので、人生の課題のうちの一つだったりもする。

そんななか、わたしが胸を張って「これはわたしの青春です!!!!」と言えるのは、わたしを支えた音楽ただ一つ。あとは曖昧になっちゃうくらい、わたしは音楽にのめり込んで、音楽に支えられていまここに立ってる、こうして、有難いことに仕事をもらえてる。

わたしが偉くなって、辞書を書けるようになったらまずこうしたい。
青春とは音楽である、と。
それくらい、生活の一部で、わたしのたった24年の人生の大半を占めてる音楽は宝物で、かけがえのない存在で。

まぁなにを言いたいかと言うと、
もしいまこのブログを見て青春とはなんだろうって思ったあなた、青春って自分自身を築き上げたものなんだよって。
自分の基盤になってるものなんだよって。

キラキラ輝くだけが青春じゃなくて、眩しいくらいの太陽の光がさす場所にあるのが青春じゃなくて、自分自身が青春の塊なんだと。

わたしの人生はこんなにも美しいって思えたらそれが青春。

知ってるか?わたしはキモオタだ。

本年も大変お世話になりました。来年も、この調子で突っ走ります。どうぞ宜しくお願いします。こばやしです。


さて、1年の総振り返りをしたいところですが気力がないので、自担へのデレデレブログに変更したいと思います。なかなか気持ち悪いブログになると思います。

今年はたくさん遠征しました。ひとつは遠征をしやすい環境にあったこと、ひとつは有り得ないくらいのチケ運の良さでした。まぁファンサ祭ですよね。
ファンサ厨のわたしは、ちょっとしたファンサですぐ好き♡と言ってしまうほどのファンサ厨です。(ファンサ降りはしたことない)

さて、わたしは元々自担(室龍太)のことを「るーたん」と呼んでいました。それがジャニーズフューチャーワールドから「龍太くん」もしくは「りゅうたくん♡」と呼ぶようになりキモオタは加速。

いままでは甘いセリフシーンは休憩タイムだったのが、クリパでは叫びまくって悶えまくって萌えまくる。
ジャニフワでなにかが変わったんでしょうね、きっと。
でも、龍太くんと呼べるようになってなんだか気が楽になった気がするんですよ。純粋に好きだなぁかっこいいなぁと、なんだかキャラブレもいいところな気もしてきた。

来年、東西合戦ではわたしの誕生日公演があります。チケットも取れました。
クリスマスは龍太くんと過ごせて、誕生日は龍太くんに祝ってもらえる。お花畑思考。

お花畑って楽しいなーーーー!!!!!!

年内最後のブログがこんなんでいいのかこばやし!!!もういいやなんでもいいー!!!

今年はいろんな人のあたたかみに触れることができました。わたしの青春も幕を閉じました。幸せだと思えることが増えました。プライベートはガッタガタだけど。
また来年も、どうかよろしく。

50Shades!で感じたこと

今回は感謝をのべるだけのブログです。

まず初めに、

上手と交換見つかりしたーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!

本当に皆様のお陰です。
心優しい浜中文一担のお姉さんが切実に探してそうなので、と交換してくださいました。

ケツイを出した時も「これは切実に見つかって欲しい」「もっと広めてあげて」等心優しいお言葉をたくさんいただきました。

人ってこんなに優しかったんだね(涙)

さて、こうしてわたしは上手に入ってきました。
一通のお手紙を添えて。
そこには、serialTVdramaとわたしのことをたっぷり書きました。そして最後に

「一夜限りでいいからまた、serialTVdramaを見れることを祈っています。」

と。
美しすぎる青春をありがとうございました、の次に出た言葉はやっぱりまた見たいという気持ちでした。

新井さんにこのブログ、届いて欲しい。
伊藤さんにも近藤さんにも五生さんにも、岡田さんにも。みんなに、届けよ、この想い。
世界で一番のわたしの青春は、serialTVdramaが作ってくれた。愛してます、なんて言葉すら陳腐に感じるくらい。

届け!!!!!!!!!!!!!!!!

わたしとserialTVdrama。そして50Shades!

今日は少し長くなるわたしの青春と、そして現在の話をしたいと思います。こばやしです。

わたしは高校時代、年の3分の1はライブハウスにいるほど音楽にのめり込み、それが青春となりました。
わたしの青春バンドには、BIGMAMA、RIDDLE、ASPARAGUS[Champagne]the chef cooks me等色々なバンドがいます。その中でも、1番わたしに影響を与えたのが、serial TV dramaでした。
serial TV drama(以下シリアル)の関東圏のライブには必ず行き、シリアルの曲に「赤いパーカー」という曲があるのですが、ライブでは必ず赤いパーカーを着て最前列にいたものです。懐かしいなぁ。
PV撮影のエキストラにも参加したし、フェスに出れば必ず行って、騒ぎまくって。わたしの青春すべてそのものでした。
そんなわたしは、ある日突然シリアルのライブに行かなくなり、曲も一切聞くことがなくなりました。

理由は、ボーカルである伊藤の脱退でした。
突然発表された伊藤の脱退。決まっていたフェスには出ない、しかしわたしの手元にあるそのチケットを無駄にすることはできませんでした。

夏フェス当日、ボーカルが発表されずライブの時間になると、とある人が、仮ボーカルとして連れてこられました。彼は言います。

「はじめまして、serial TV dramaです。」

わたしはその言葉を一生忘れることはないでしょう。
仮であるボーカルが、serial TV dramaと名乗ったことに怒り、そしてライブ1曲目、わたしは泣き崩れました。

「車で海へ行く、クラッカーにソーダ持って、君は白のワンピース」

わたしが一番好きな「シーフード」という曲でした。
先程も言った通り、わたしはシリアルの関東圏のライブはすべて行ってます、が、伊藤の「シーフード」は聞いたことはほとんどありませんでした。夏フェス、痛いほどの日差しを浴びながら聞きたかったシーフードをなぜ新ボーカルで聞かなくてはならないのか、わたしは涙が止まらず、最前列に設置された柵をライブ中ずっと蹴っていました。悔しくて、悲しくて。

この1件で、わたしはライブハウスから遠のくこととなりました。
年間120本はライブに行ってたわたしがライブハウスに行かなくなり、毎日悲しみ、シリアルのCDを捨てました。

そしてわたしはV6と出会いジャニオタになりました。
それから月日は流れ、2014年室龍太に担降りをし、2016年浜中文一主演の舞台の音楽監督として、シリアルのギタリスト新井弘毅が決まりました。

決まった時は複雑でした。
手元にあるチケットを売ってしまいたい気持ちと、シリアルに対するわたしの気持ちを片付けるべきなのでは、と。
きっとわたしは50Shades!を観て泣く、あぁ新井のギターが聞こえる、と。

そして昨日、50Shades!を観てきました。

泣きました。開演前の演奏から鳥肌が止まらず、新井に釘付け。
シリアルに対する気持ちは、まだまとまってない。でも、そこに確かにわたしの青春はあった。ああ、青春が聴こえる。相変わらずこういうギターなんだなって、どこか腑に落ちてる自分もいて。
自然と流れ出る涙は、わたしの青春をこじらせてるのか、それとも、シリアルに対する気持ちの整理がついてないからなのか。

でも、わたしは新井のギターを聞いて心の底から満たされたんです。
驚くくらい、満たされた気持ちでいっぱいで。
ねぇ、わたしの青春は、あのステージの上にあるの?わたしの青春は、下北沢のステージに置いてきたつもりでいたから。
わたしは、美しすぎる青春に触れ、思い出し、泣く。
置いていったはずの青春は、新宿FACEにあった。