アスピリン打って

ジャニ、舞台、タバコのこととか

7年かけてようやく病名がついた話

もう何軒病院巡りしたか覚えてません、こばやしです。

今日は千葉まで来ました。評判のいい精神科があると聞いたので。
まずは相談員さんにここに来た経緯、症状を説明。その後先生と問診だったのですが女性の先生でした。

ざっくり言うと、入院を勧められました。
閉鎖病棟スマホ持ち込み禁止。いや、さらに病むわ。
現実的な話、入院するにはお金がかかる。だから母は働かなくてはいけないから毎日は会いに来れない。と。いや、もっと病むわ。

病名は「情緒不安性人格障害」と「統合失調症」でした。
なんだかスッキリした気分。

これで少しでも治療方針がしっかり決まればいいな、とは思う。
死にたい、という気持ちはまだなくならない。死んでいいならいますぐ死ぬし、カッターを渡されれば躊躇なく手首を掻っ切る。
くそめんどくせえこの病気と付き合っていかなくてはならない。めんどくせえ

仕事を辞めたあとの話

すっかりLDHの女になりました、こばやしです。

仕事を辞めて1週間くらい経ちました。
わたしは療養が嫌いなので、いま仕事を探している最中です。
そんな日常を書き留めたいと思います。

まずは、前回のブログを読んだのか誰かから聞いたのかわからないけど、母にお叱りを受けました。わんわん泣くわたしを抱きしめながら「泣きたいのはこっちのほうだよ」と母は言いました。

そこからわたしは自分の感情をコントロールできなくなりました。
いつも、どんなときもイライラしてる。不安が傍にいる。
いますぐにでも死にたい、わたしなんか生きてる価値がない、と自分を責め立てるようになりました。
母がこんな悲しそうな顔をするのは、わたしが生きてて厄介をかけてるからだ、と。
お金も底を尽きて、さらに心は荒んで、叫びたい気持ちを抑えるので精一杯で周りなんか見ることができなくて。
イライラを抑えるためか、煙草も増えた。お酒は飲めなくなった。感情が露わになるのが怖いから。

心療内科の先生には全部言った。
自殺未遂をしたこと、いまも死にたいこと、いますぐにでも背後から刺されたいこと、精神安定剤を飲んでも飲んでも効かないこと、夜まったく眠れなくなったこと。
先生は抗うつ剤を処方してくれた。人生二回目の抗うつ剤
前に処方してもらったときは、自傷癖が出てたときだった。そのときは自傷癖が馬鹿らしくなって、すぐに抗うつ剤から離脱することができた。
だから怖い。わたしは抗うつ剤で本当に精神が安定するのだろうか。

自殺防止の電話?にも電話した。
なんの解決にもならなかった。
いっそ、入院でもして自殺をしたいという感情が消えるまで監禁してほしい。

こんなに辛いのに、みんな、自分のキャパで、わたしの辛いを測る。
わたしは、わたしのキャパで、わたしの辛いをわかってくれる人と、話がしたい。
こんなにも辛いのに、誰もわかってくれない。

電車に飛び込みかけて仕事を辞めた話

貯金ゼロ、パスモにチャージしてる800円、煙草2箱で就職活動してます、こばやしです。

さて、タイトルにあるように仕事を辞めました。
通販サイトでの業務でしたが、別に激務ではなかったし、同期とも仲良くして特に不満のある仕事ではなかったのですが、今日付で、辞めてきました。
それはなぜか、という話をしたいと思います。

異変を感じたのは5月5日。世間はGW、わたしは仕事。
目眩が酷くて真っ直ぐ歩けなくなりました。低血糖症持ちなので、低血糖かな、と思い飴を舐めながら仕事をしてました。でも治らないんだよね、その目眩が。とりあえず多めに糖分を摂ったりして。
そして世間のGWが終わった5月9日、コール部にぶち込まれたわたしはお客様からの電話を取りました。

「お電話ありがとうございます、テクニカルサポート担当のこばやしでございます。」

左耳にヘッドセットをしてたのですが、反響してくるはずの自分の声が聞こえない。なんなら、お客様の声も聞こえない。
慌ててヘッドセットを右耳につけ直して対応をしました。
そして上司に相談し、早退をさせてもらうことに。
いま思うと、5日のときよりずっと目眩は酷くなってて、壁に手をついてなきゃ歩くことができなかった。
まぁその時点で病名は薄々分かってたんだけど。
耳鼻科に行って検査をした結果、ついた病名は
突発性難聴
でした。
ストレスによるもの、なんてよく言うよね。
目眩も、真っ直ぐ歩けないのも突発性難聴のせいでした。
ストレスなく働いてたつもりだったんだけどな。なんかショック。

そしてわたしは突発性難聴と共に仕事をすることに。
完治に2週間半。その間はずっと薬を決められた量飲み、飲み忘れがないようメモ書きを残したり。色々しました。
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↑こんな感じ。

突発性難聴が治りかけた頃、わたしの睡眠障害が悪化。
元々眠前薬として毎晩11錠薬を飲んでいましたが、心療内科で3錠追加され、それでも安定した眠りを確保することができませんでした。

それと同時期、食欲がなくなり、食べれば吐きを繰り返すようになった。(おかげで痩せた)
ただの夏バテ的なアレだと思ってたんだけど、なんだか感じたことのない不快感を食道や喉に感じるようになった。
汚い話をするけど、寝てたら急にゲロがせり上がって来て、それに叩き起されトイレダッシュする夜が続いた。おかげでまぁ寝れねぇ。寝不足でおはよう☀なんて感じだ。
病院に行ったら胃薬を処方された。先生には「これでよくならなかったら、消化器内科に行ってね。」と言われた。

それが5月末の話。それくらいから精神的におかしくなりはじめた。

電車のホームに立ってるとフラフラしてしまう、電車が目の前を通過する瞬間に意識が飛ぶ。
要は、無意識に走ってる電車に飛び込もうとしてた。
1度だけサラリーマンに助けられた。ふわっと意識が飛んで前に倒れようとしたのを、後ろに立ってたサラリーマンに腕を掴まれ、そこで意識がハッキリとした。
サラリーマンはわたしに怒鳴った。よく覚えてない。でも、わたしはそのサラリーマンに助けられたのだ。
その日はそのまま帰ることにした。会社に電話しようとしたら、胃酸がせり上がってきてそのまま吐いた。
その時フと、胃薬を処方した先生の言葉を思い出した。あー消化器内科いこー

消化器内科の先生に「2週間前からこの症状が出てる」と言ったら「よく耐えたね」と言ってくれた。
わたしがあの会社に勤めて、はじめて褒められたことだった。
逆流性食道炎
と診断され、その週末に胃カメラを飲んだ。

友達には「ストレスのWコンボ」だったり「満身創痍すぎる」だったり色々言われた。
いま思うと、すごい、その言葉が、重荷になってた。

逆流性食道炎と診断されたわたしは会社に「仕事をしっかりしたいから、療養としてしっかりと病気を治すために仕事を休ませてくれ」とお願いをした。
でも会社はそれを飲んでくれなかった。研修に入るから楽になるから、とか、薬しっかり飲んで治せば大丈夫でしょ、とか。

いや、そうじゃねえよ。
研修入っても、吐くためにトイレにこもってたら意味はない。薬を飲んでも、しっかり治すためにはそれなりの時間とそれなりの空間が必要だ。
わたしはその旨も全部伝えた。それでも休みはくれなかった。
咄嗟に出た言葉が

「じゃあ仕事辞めさせてください」

だった。ビックリした。もちろん上司は渋った。

「だから、仕事辞めさせてください」

休ませてくれないなら、辞めさせてください。
わたしは、言ってしまえば自殺未遂までしてる。もちろん上司にそのことも伝えた。
でもそのまま上司はどこかに行ってしまった。

その後何度も何度も、電車に飛び込もうとした。今度はしっかり意識があった。
飛び込めば楽になれる、飛び込めば仕事に行かなくて済む、飛び込めば死ねる。頭の中はその言葉でいっぱいだった。
家族にも言えず、1人抱えたその言葉の重みに何度も押し潰され、でもその考えはわたしの頭の中から消えなくて。
手首を切ろうか、それともベランダから飛び降りてみようか、でも、せめて綺麗な姿で死にたい、電車に飛び込んでバラバラな姿になるのは嫌だな、なんて思いながら毎日元気に自殺未遂。

そして遂に昨日、上司に呼び出され告げられた言葉は簡単に言ってしまえば「クビ」だった。
ありがたかった。こんなにも幸せになったのはいつぶりだろうと思うくらい。
やっとわたしの言ってることの重みが、会社に伝わった。

お世話になりました。Amazonさん。

母の日

新生活なんとかやってます、こばやしです。

先に言っとくけど、わたしは特別複雑な家庭環境ってわけではないし、両親は円満離婚(笑)だと思ってる。

ただ、わたしには母が二人いる。

育ての親と生みの親と言い方は分けてはいるが、わたしはその二人に24年間育てられた。

特に深く考えたことはない。単純にわたしには母が二人いるわけだ。
母と慕ってる人、ではない、母、が二人いる。

そんな二人の母は、こんな面倒くさいわたしをいつだって受け止めてくれて、全力の愛を注いでくれて、そこから咲いた花はこんなに立派に咲き誇ってるわけだ。

さらにわたしには誕生日が1日違いの双子の兄弟もいる。向こうはそうは思ってないみたいだけど。
これまた複雑な家庭環境というわけではないが、彼のことはもう家族だと思ってるし、妹、弟だっている。
これも、二人の母が与えてくれた世界一の家族なわけであって。

24年間も一緒にいるから、もうわかるんだ、大抵の事は、顔を見ればわかる。
あ、喜んでる、とか。面倒くさそうにしてる、とか。疲れてる、とか。

ずっと一緒にいるからこそ気づかないこともたまにある。
たまに、だけどね。

もう1度言うが、わたしには母が二人いる。
特別複雑な家庭環境ではないし、母と慕ってるのではなく、わたしには実の母が二人いる。

そんな二人は巻き爪が痛かったり、お店を経営しててんやわんやだったり。

だから、母の日に伝える愛も2倍になって、伝えたいことも2倍なのだ。

ありがとう、ここまで育ててくれて。
愛してるから、これからもよろしく。長生きして、ばぁばになって、みんなでもっともっと幸せになろうね。
鮭ならイクラ、ニシンなら数の子、カエルならカエルでも、もうなんでもいいや。またあなた達の子として、産まれたい。
心から、ありがとう。

新しい仕事に新生活、あとは不思議な出会い

転職しました、こばやしです。

新しいお仕事は、通販サイトに関することなのですが、あまりにも新しいことすぎてずっと驚いてます。
なんでわたし面接通ったんだろう…ってくらい、わたしには荷の重すぎる仕事だな、と思いました。

去年の9月頃のブログ。そこで「わたしは環境の変化に弱い」と書いたのですが、いままさにそのド真ん中にいます。
新しい環境って、どうしても憂鬱で、慣れるまでが大変で、慣れたら慣れたで飽きてしまう。そんなクソみたいなわたしですが、どうにか頑張っていこうかと思います。どうにか頑張ってしがみついて。
なんで前の仕事辞めたんだろう、なんて思わないように。

不思議な出会いを求めて、わたしは明日も働きます。
頑張ります。

わたしの青春ってなぁんだ!?

どうもこばやしです。
あけましておめでとうございます。

今日は懐かしいDVDを観ながら青春の話をしたいと思います。

青春ってなんだ?と思うことがたまにあったりする。
過去を振り返って青かったな、と思う季節のことかな?とか、楽しんでる今が青春なのかな?とか。
だったらいつだって青春なんじゃないかな、って思ったりもする。
青春の定義はなかなか難しいもので、人生の課題のうちの一つだったりもする。

そんななか、わたしが胸を張って「これはわたしの青春です!!!!」と言えるのは、わたしを支えた音楽ただ一つ。あとは曖昧になっちゃうくらい、わたしは音楽にのめり込んで、音楽に支えられていまここに立ってる、こうして、有難いことに仕事をもらえてる。

わたしが偉くなって、辞書を書けるようになったらまずこうしたい。
青春とは音楽である、と。
それくらい、生活の一部で、わたしのたった24年の人生の大半を占めてる音楽は宝物で、かけがえのない存在で。

まぁなにを言いたいかと言うと、
もしいまこのブログを見て青春とはなんだろうって思ったあなた、青春って自分自身を築き上げたものなんだよって。
自分の基盤になってるものなんだよって。

キラキラ輝くだけが青春じゃなくて、眩しいくらいの太陽の光がさす場所にあるのが青春じゃなくて、自分自身が青春の塊なんだと。

わたしの人生はこんなにも美しいって思えたらそれが青春。

知ってるか?わたしはキモオタだ。

本年も大変お世話になりました。来年も、この調子で突っ走ります。どうぞ宜しくお願いします。こばやしです。


さて、1年の総振り返りをしたいところですが気力がないので、自担へのデレデレブログに変更したいと思います。なかなか気持ち悪いブログになると思います。

今年はたくさん遠征しました。ひとつは遠征をしやすい環境にあったこと、ひとつは有り得ないくらいのチケ運の良さでした。まぁファンサ祭ですよね。
ファンサ厨のわたしは、ちょっとしたファンサですぐ好き♡と言ってしまうほどのファンサ厨です。(ファンサ降りはしたことない)

さて、わたしは元々自担(室龍太)のことを「るーたん」と呼んでいました。それがジャニーズフューチャーワールドから「龍太くん」もしくは「りゅうたくん♡」と呼ぶようになりキモオタは加速。

いままでは甘いセリフシーンは休憩タイムだったのが、クリパでは叫びまくって悶えまくって萌えまくる。
ジャニフワでなにかが変わったんでしょうね、きっと。
でも、龍太くんと呼べるようになってなんだか気が楽になった気がするんですよ。純粋に好きだなぁかっこいいなぁと、なんだかキャラブレもいいところな気もしてきた。

来年、東西合戦ではわたしの誕生日公演があります。チケットも取れました。
クリスマスは龍太くんと過ごせて、誕生日は龍太くんに祝ってもらえる。お花畑思考。

お花畑って楽しいなーーーー!!!!!!

年内最後のブログがこんなんでいいのかこばやし!!!もういいやなんでもいいー!!!

今年はいろんな人のあたたかみに触れることができました。わたしの青春も幕を閉じました。幸せだと思えることが増えました。プライベートはガッタガタだけど。
また来年も、どうかよろしく。