アスピリン打って

ジャニ、舞台、タバコのこととか

わたしとserialTVdrama。そして50Shades!

今日は少し長くなるわたしの青春と、そして現在の話をしたいと思います。こばやしです。

わたしは高校時代、年の3分の1はライブハウスにいるほど音楽にのめり込み、それが青春となりました。
わたしの青春バンドには、BIGMAMA、RIDDLE、ASPARAGUS[Champagne]the chef cooks me等色々なバンドがいます。その中でも、1番わたしに影響を与えたのが、serial TV dramaでした。
serial TV drama(以下シリアル)の関東圏のライブには必ず行き、シリアルの曲に「赤いパーカー」という曲があるのですが、ライブでは必ず赤いパーカーを着て最前列にいたものです。懐かしいなぁ。
PV撮影のエキストラにも参加したし、フェスに出れば必ず行って、騒ぎまくって。わたしの青春すべてそのものでした。
そんなわたしは、ある日突然シリアルのライブに行かなくなり、曲も一切聞くことがなくなりました。

理由は、ボーカルである伊藤の脱退でした。
突然発表された伊藤の脱退。決まっていたフェスには出ない、しかしわたしの手元にあるそのチケットを無駄にすることはできませんでした。

夏フェス当日、ボーカルが発表されずライブの時間になると、とある人が、仮ボーカルとして連れてこられました。彼は言います。

「はじめまして、serial TV dramaです。」

わたしはその言葉を一生忘れることはないでしょう。
仮であるボーカルが、serial TV dramaと名乗ったことに怒り、そしてライブ1曲目、わたしは泣き崩れました。

「車で海へ行く、クラッカーにソーダ持って、君は白のワンピース」

わたしが一番好きな「シーフード」という曲でした。
先程も言った通り、わたしはシリアルの関東圏のライブはすべて行ってます、が、伊藤の「シーフード」は聞いたことはほとんどありませんでした。夏フェス、痛いほどの日差しを浴びながら聞きたかったシーフードをなぜ新ボーカルで聞かなくてはならないのか、わたしは涙が止まらず、最前列に設置された柵をライブ中ずっと蹴っていました。悔しくて、悲しくて。

この1件で、わたしはライブハウスから遠のくこととなりました。
年間120本はライブに行ってたわたしがライブハウスに行かなくなり、毎日悲しみ、シリアルのCDを捨てました。

そしてわたしはV6と出会いジャニオタになりました。
それから月日は流れ、2014年室龍太に担降りをし、2016年浜中文一主演の舞台の音楽監督として、シリアルのギタリスト新井弘毅が決まりました。

決まった時は複雑でした。
手元にあるチケットを売ってしまいたい気持ちと、シリアルに対するわたしの気持ちを片付けるべきなのでは、と。
きっとわたしは50Shades!を観て泣く、あぁ新井のギターが聞こえる、と。

そして昨日、50Shades!を観てきました。

泣きました。開演前の演奏から鳥肌が止まらず、新井に釘付け。
シリアルに対する気持ちは、まだまとまってない。でも、そこに確かにわたしの青春はあった。ああ、青春が聴こえる。相変わらずこういうギターなんだなって、どこか腑に落ちてる自分もいて。
自然と流れ出る涙は、わたしの青春をこじらせてるのか、それとも、シリアルに対する気持ちの整理がついてないからなのか。

でも、わたしは新井のギターを聞いて心の底から満たされたんです。
驚くくらい、満たされた気持ちでいっぱいで。
ねぇ、わたしの青春は、あのステージの上にあるの?わたしの青春は、下北沢のステージに置いてきたつもりでいたから。
わたしは、美しすぎる青春に触れ、思い出し、泣く。
置いていったはずの青春は、新宿FACEにあった。