アスピリン打って

ジャニ、舞台、タバコのこととか

狭心症療養という現実

どうもーこばやしです。
今日はこばやしの現状を書きたいと思います。

さて、今年の4月から保険代理店で働き始めたわたし。
環境の変化にめちゃくちゃ弱いわたしは色んなアレルギーを発症しました。

まずはグルテン(小麦)。致命的ですね。
職場の近くに丸亀製麺があるのですが、グルテンを発症してから1度も行ってません。
小麦なのでもちろんビールも飲めない。揚げ物も食べれない。パスタもダメです。
つまらない食生活の幕開けでした。

続いて甲殻類。
友人と新橋にある「かに地獄」という居酒屋に行って、発覚しました。
エビももちろん食べれません。
なんてつまらない食生活なのでしょうか。

続きまして玉子。
もういっそのこと殺してくれよ。

そして、加速する果物アレルギー。
果物アレルギーは元々あり、マンゴー、パイナップル、キウイ、モモ、メロン等がアレルギーなのですが、別に食べたら死ぬほどではなく口周りが赤くなって、喉が荒れ血を吐くくらいの軽症?だったのすが、加速する果物アレルギー…ついに食べたらアナフィラキシーショックを起こすほどになりました。
とてもつまらない食生活です。

さて、そんなわたしですが、友人の結婚お祝いパーティ二次会カラオケで、とある病気を発症します。
それは、狭心症
詳しくは、冠攣縮性狭心症、というものです。
寝不足、疲労、ストレス等で起こる狭心症の一種です。
母が不整脈持ち、弟が狭心症疑惑をかけられていたので、いつか自分にも来ると思ってました。
それはほんの些細な違和感からでした。
Sexy ZoneのチャチャチャチャンピオンのMVの寺西拓人をジーッと見ていたら、心臓が痛くて痛くてたまらなくなりました。
そう、気づかせてくれたのは寺西拓人だったのです。ありがとう。

さて、こうしてわたしの狭心症生活がはじまりました。
毎日のように、病院で処方されたニトロを服用し、3度救急車で運ばれました。
最初に言いましたが、わたしは環境の変化にめちゃくちゃ弱いです。
まさか、心臓に来るとは思ってもいませんでした。

仕事もまともにできず、休みがちになりました。
ひたすら心臓の痛みに耐え、ニトロを服用し、痛みが治まるのを待つ。

そんな日が続き、昨日、仕事を辞めました。
辞めた、というよりも、実質クビ。
上司に「狭心症の発作が酷いので、治まったら仕事行きます」と連絡したわたし。そんなわたしに上司はこう返してきました。

「出勤すると発作起こるよね。しばらくは療養に専念した方がいいと思うのですが。」

出勤すると発作が起こるよね、わたしはその言葉に酷く傷つきました。発作が出るのは出勤する時だけじゃない、サボってると思われてるのか?と。
本当は療養に専念する気なんてサラサラありませんでした。なぜならストレス性だから。専念したところで、復帰したらまた発作が出るのはわかりきったことだから。
しかし、これ以上会社に迷惑はかけられません。
わたしは療養をすることにしました。
すると上司から

「廃業手続きをとります。書類が家に届くので確認をお願いします。また働く場合は、また面接からお願いします。」

ちょっと待て。おかしいだろ。
廃業手続きとるの?また面接するの??
反論が面倒くさかったわたしは了解しました、とだけ返信すると履歴を全部消去し、バイトルのホームページを見始めました。
これ、完全にクビですね?と、笑いながら。

たったちょっとのズレが、ここまでズレるんです。
狭心症というくだらない理由で、わたしは職を失いました。

それからは何もかもがヤケクソです。
禁止してた、グルテンを摂取し、フルーツジュースを飲んで、卵かけご飯にカニ缶を混ぜて食べました。
こんなに美味しかったんですね。グルテンもフルーツも卵もカニも。
涙が出ました。

わたしはいま絶賛職探し中です。心臓に爆弾を抱えながら。

でも、狭心症を、馬鹿にしないでください。

わたしと担当

はじめてはてブロ書きます。よくわかってません。
自己紹介がてら、わたしと担当というテーマで書かせていただきます。

わたしは元V6三宅健担で、そこから萩谷慧悟、楠本幸登と経由し、室龍太に行き着きました。

室龍太との出会いはそこそこ前からで。5年ほど前に少年倶楽部in大阪で知りました。その時は、室龍規くんにメロメロで、大阪の推しは室龍規くん。事務所を辞めたいまでもリア恋枠です。

室龍太を意識しはじめたのは、かなり最近。台風n Dreamerの時です。

その前に14年の春松竹で楠本幸登に一目惚れ降りをしたわたしは、松竹座を出るやいなや、ハンズに走りうちわの材料を買い、一緒に大阪に来ていた西畑大吾担の友達を放置しネカフェに飛び込み文字を出力すると、すぐにホテルに帰りうちわを作りました。
手紙もしっかり書き、次の日の公演で楠本幸登からファンサービスをもらったわたしは、もうメロメロを通り越し、腰抜けクソ野郎になっていました。
東京に帰っても楽屋気付で手紙を毎日出し続け、春松竹が終わってすぐに手紙の返信が来ました。
まさかそれが最後のファンサービスになるなんて思ってなかったわたしは浮かれまくりでバイトをしたものです。
その公演を最後に、楠本幸登は事務所を辞め、いまはアクセサリーを作ったりダンスレッスンをしたりと、楽しそうにしているので、まぁよしとします。

さて、春松竹で事務所を辞めてしまった楠本幸登。わたしは担当不在期間に入りました。
いろんな子のうちわを持ちました。でもどれもしっくり来なくて、気づけば9月。
日生台風n Dreamerがはじまる時期になりました。
松竹台風n Dreamerも行ったのですが、その時はまだ室龍太が担当になるなんて思ってもいませんでした、もちろん。

何公演か入った時にようやく気づいたことがひとつ。あの子、室龍規くんの弟だ。
このちょっとした気付きがわたしを奮い立たせました。
その後はもう室龍太しか見れなくなり、千秋楽9/28に担降りをしました。

わたしは基本、西畑大吾担の友人と宮舘涼太担の友人と遊んでいるのですが、当時2人は「年内に他の子に担降りする」と思ってたようです。残念、2年経ちます。なんなら一番長く続いてます。

それからわたしは、年に1回のファンサービスで飼い殺されることになるのです。

でも問題がひとつ。
わたしは彼のどこが好きなのだろう?という疑問。室龍規くんの弟だから好きなのか…と。
よくオタク同士で、うちの子のここがすき!ここがすごい!なんて話よくしますよね。
それにまったく参加出来ないわたし。
でもコンサートには行くし、うちわも持つし、手紙も書く。オタクとしての在り方を、全うしてたつもりでした。
でもいざどこが好きなの?と聞かれるとどうしても悩んでしまう。
彼より魅力的な子は現れないのに、どこが好きかと聞かれるとどうも解答に困る。
そんなことがずっと続きました。
年に一回のファンサービスに飼い殺されながら、わたしはゆるーくオタクを続けていました。

オタクにとって、自分の好きな子をプレゼンテーションできないのは致命的…
そんな時訪れたのが、今年のANOTHER!
なんかよくわからないけど、良席祭りで花横前列が2公演来る+毎週末のチケットが取れるという奇跡が起こりました。
まじか!!としか言えなかった。
そんな感じではじまったANOTHER。
2幕ショータイムでエスパーで室龍太向井康二と花道にくるのですが、これはキタと思った。これはうちわなくてもイケる、と。
そんなわたしの想像は的中。
年に一回のファンサービス祭りがやってきました。

わたしのようなデブスにも笑顔で手を振る彼に心がうたれてやっと気づきました。
わたし、彼の笑顔が好きだと。
思えば、いままでの年に一回のファンサービスもすべて笑顔で心が苦しくなってた…
気づくのが遅い!!!!!!すごく遅い!!!!!

そう!室龍太のアピールポイントは笑顔がめちゃくちゃかわいいということ。
いままで答えられなかった、質問にもいまは胸を張って答えられます。
笑顔が、好きです。

そんな笑顔がかわいい室龍太
これからもその笑顔でわたしを魅了し続けてください。